下総国下河辺庄筑地郷地頭職訴陳状案
(端裏書)「一問一答訴陳案〈村上尼事〉」
銘云 当所
上野国村上住人尼常阿代勝智□□□、
欲早任御書下并沽券旨、蒙御成敗倉栖掃部助四郎〈修理権大夫殿/御内祗候人〉押領下総
国下河辺庄築地郷地頭職間事、
副進
二通 御書下并沽券案、
件郷者、文保元年十二月七日倉栖掃部助兼雄自去午歳至今年亥年令◦《沽》却六ケ年
於貳佰貫文之刻、如同日御書下者、下河辺庄築地郷為作事料足、自明年六ケ年沽
却事、所被聞食也云々、雖然自即年被押領之間、於彼郷内連々雖歎申、依不
道行所令言上也、而兼雄雖令死去、子息助四郎相継亡父跡之上者、早被召出之、任証文
旨為蒙御成敗、粗言上如件〈在判〉、
匠作禅門(金沢貞顕)代円信謹弁申
欲早被棄損上野国村上住人尼常阿姧訴下総国下河辺庄築地郷買得由事、
右如訴状者、当郷者文保元年十二月七日倉栖掃部助兼雄令沽却六ケ年、於貳佰
貫文、自即年押領畢、早任御書下放券状、欲蒙御成敗云々〈所詮、〉
此条無跡形不実也、対于未聞不見常阿、争可有売買之儀哉、宜足賢察、随而
備進状等者、家人烏子中務丞利時後家尼妙阿、令米納当郷年貢之時、所書与之
状也、其証期問答之時、而彼妙阿同二年三月廿三日於当所令殺害継子烏子中務次
郎顕忠〈利時/子息〉之間、令収公給分、欲処流刑之処、晦跡逐電畢、然後号清式部四郎
左衛門尉職定後家、先年捧彼妙阿所得状等、望申問住〔注〕所差符之由、就承及妙(後欠)
(裏書、八・九行裏)
「奉行人/安富右近将監入道」
銘云 当所
上野国村上住人尼常阿代勝智□□□、
欲早任御書下并沽券旨、蒙御成敗倉栖掃部助四郎〈修理権大夫殿/御内祗候人〉押領下総
国下河辺庄築地郷地頭職間事、
副進
二通 御書下并沽券案、
件郷者、文保元年十二月七日倉栖掃部助兼雄自去午歳至今年亥年令◦《沽》却六ケ年
於貳佰貫文之刻、如同日御書下者、下河辺庄築地郷為作事料足、自明年六ケ年沽
却事、所被聞食也云々、雖然自即年被押領之間、於彼郷内連々雖歎申、依不
道行所令言上也、而兼雄雖令死去、子息助四郎相継亡父跡之上者、早被召出之、任証文
旨為蒙御成敗、粗言上如件〈在判〉、
匠作禅門(金沢貞顕)代円信謹弁申
欲早被棄損上野国村上住人尼常阿姧訴下総国下河辺庄築地郷買得由事、
右如訴状者、当郷者文保元年十二月七日倉栖掃部助兼雄令沽却六ケ年、於貳佰
貫文、自即年押領畢、早任御書下放券状、欲蒙御成敗云々〈所詮、〉
此条無跡形不実也、対于未聞不見常阿、争可有売買之儀哉、宜足賢察、随而
備進状等者、家人烏子中務丞利時後家尼妙阿、令米納当郷年貢之時、所書与之
状也、其証期問答之時、而彼妙阿同二年三月廿三日於当所令殺害継子烏子中務次
郎顕忠〈利時/子息〉之間、令収公給分、欲処流刑之処、晦跡逐電畢、然後号清式部四郎
左衛門尉職定後家、先年捧彼妙阿所得状等、望申問住〔注〕所差符之由、就承及妙(後欠)
(裏書、八・九行裏)
「奉行人/安富右近将監入道」
下総国下河辺庄筑地郷地頭職訴陳状案(詳細)
- 金文番号
- 5329
- 和暦年月日
- (鎌倉時代後期)
- 成立
- 鎌倉時代後期
- 形状
- 続紙
- 欠損
- 後欠
- 料紙
- 楮紙
- 法量 縦x横
- 31.7 * 46.5
- 紙数
- 1紙
- 紙背
- なし
- 整理番号
- 0076
- 最終更新日
- 2015-08-02