湛睿書状・恵釼勘返状

(端裏)「□□    恵釼」
(湛睿書状)
  ▲此間動乱無為無事令静謐
  候条、言語道断、実以希代
  未聞候、▲即以飛脚忩々
令案内此人之方候、○【此使者】無案内
  之仁候、以勝忍御房(剱祐)可令
  引付給候、▲又自京都、介殿(千葉介貞胤)
  下向之由令荒説候事実
  候哉、其間事等可示給候、委細
  使者可申候、▲恐々謹言、
    ▲(建武二年)極月八日   湛睿(花押)
   光明院御侍者

(恵釼勘返状)
「委細之旨御使者
 可申入候也、
 □□候ハて勘申候、恐入候、」
「此間合戦之体不可○【及】御察当候也、」
「不思議不可説ニ候、」
「以僧令申候、」
「京都事不分明候、」
「恐惶謹言、」
   (極月)九日         恵釼(花押)
  御報

湛睿書状・恵釼勘返状(詳細)

金文番号
1857
和暦年月日
(建武2年)極月8日
成立
南北朝時代
員数
1通
形状
竪紙
料紙
楮紙
法量 縦x横
29.1 * 41.4
紙数
1紙
紙背
湛睿稿本(袋綴、華厳・起信論関係)
付加情報
湛睿自筆、右端に切封の跡あり、
整理番号
0981
神奈川県史
3311
最終更新日
2021/9/22